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2008年7月21日 (月)

母のさまざまな昔ばなしを聴いて

 昨日、夕刻に鶴橋の実家へ寄った。奈良市少年サッカーフェスティバル大会の関係で幾つかの会場を訪れて所要をすましてのちに、クラブの人に近鉄奈良駅まで送っていただいた。駅のホームに丁度「特急」がホームに止まっていたので、奮発して「特急券」を買い求めて、近鉄奈良駅から鶴橋駅まで「特急」に乗った。ゆったりしながら、ビ-ルは飲まなかったが、車窓を眺めちょっとした帰郷の気分だった。

 母は今、少し認知症が進んでいる。鼻からチューブをつけて酸素を吸いながら生活している。酸素チューブがともだちのようなものだ。補助具を使わないと歩くことはできない。実家の居間で、私はビールを飲みながら母の話を聴いていた。母のさまざなむかし話を聴いた。近い過去の話は忘れていたり、時系列があいまいな部分があったりする。しかし、幼少の頃とか若かった頃の遠い過去の話は記憶が明確だった。

 すでに75年以上も経過している時の話だった。小学校2年生の時に小児結核を患ったこと。後に父(私の祖父)が生死の淵をさまよったことに涙を流したと母(私の祖母)から聞いたこと。私は初めてそのことを聞いた。母はずっと体が弱かった。私が幼少の頃から母のイメージは病気と病院がつきまとう。不思議なもので、私の祖父、祖母、父、母の中では、母が一番長生きをしている。

 母のさまざまな昔ばなしを聴きながら、私は母のやせ衰えた姿に、自分自身の長男としてのいたらなさと親不孝であるという想いが心の奥底から浮かび上がってきた。

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