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2008年3月27日 (木)

「早春賦」を聴く

 月曜日から仕事の都合で帰宅が遅かった。今晩、意図的に早く仕事を終えた。会社帰りに肌寒さを感じきながら、ふと「早春賦」の歌を口笛で吹きながら富雄川沿いを歩いて帰宅した。 「♪♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・・」。以前訪れた大分臼杵にある「吉丸一昌記念館」で買ったCDを我が家に帰り「二階堂」を飲みながら聴いた。

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大正元年に「早春賦」は作られ、大正
2年に文部省唱歌「新作唱歌」第2集に収められ今も歌い継がれている。この歌の作詞者は、吉丸一昌である。明治6年に大分県・臼杵で生まれ、苦学の末、熊本・旧制五高に進み、夏目漱石との出会いが彼の進路を決定した。東京帝国大学に進学し、貧しい学生の身でありながら、身寄りのない若者たちを集めた夜間学校「修養塾」を開き、勉学、衣食住、就職の面倒を見続けた。

 1999年春に、私は吉丸一昌のふるさとである大分県臼杵を訪れた。2006.12.31付にて当ブログのカテゴリ-「旅人」に雑文ながらも掲載した

 1999年、師走のあわただしい夜だった。大阪・難波の居酒屋で酒を飲み仲間と別れた。若かりし頃から酒を飲んで一人になると、決まってある場所に行きたくなってしまう習性がある。それが、いいのか悪いのかは、人それぞれの価値判断でしかない。ただ、悪くもない習慣であると自分自身では思っている。そこは、新刊本屋と古本屋・レコ-ド店(古くさい名である)、オ-ルドファションな人間である。閉店間近の灘波ジュンク堂書店に入った。あわただしく本棚に目を配り、本の題目を追った。その一瞬、発作的に、本当は何らかの理由、意味が存在していたのかもしれないが、『唱歌・童謡ものがたり』(岩波書店)という定価2,200円の本を買い求めた」(1999年)

春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てずに 時にあらずと 声も立てずに 

 「難波発の奈良行き快速急行は、私をも含めて酔いどれ客でいっぱいだった。その中で本を開いた。最初の項目が「早春賦」であった。4ペ-ジの短文であった。つり革に右手でぶら下がりながら、左手に本を持ち、珍しく集中して文章を追った。その時、私自身が疲れていたがために、全く違った世界の情念にひきつけられたのかもしれない。一気に読み終えた。長い生駒トンネルを走り続ける電車の中、ほろ酔い気分でいろいろな事柄が映像として脳裏をよぎった。その時、私は、唱歌「早春賦」の作詞者・吉丸一昌のふるさとである大分県・臼杵の町を訪れたいと思った」(1999年)と。 私は雑文として残した。

 吉丸一昌の妻ユキは、小学生のころ両親を亡くした。たった2年間の結婚生活であったが、夫また弟のような修養塾生たちに囲まれ、短くも楽しい日々を彼女は過ごした。彼女は病がもとで死去した。吉丸29歳、ユキ21歳であった。それから9年後、吉丸がユキの墓参で臼杵に帰郷した折に、彼女を想いつづった歌がある。私には、この歌がいつも心に刻み込まれている。 春は名のみの夜に、ふと声を出して口ずさんだ。

 むかし見し かの初恋の 初日の出 いまなき人の おくつきにさす


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