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2008年1月12日 (土)

平野運河への想い

005photo:2007.10 南弁天橋から剣橋方面を望む。

 大阪市東成区西部を南北に貫いている「平野川」である。大正時代から昭和初期にかけて堀削工事と護岸工事がなされた。その折に、多くの韓国・朝鮮人労働者がこの工事に従事した歴史がある。私が実家から小学校へ行くためには必ずこの川を渡らねばならなかった。北側の剣橋かそれとも南側の南弁天橋のいずれかを渡り通学していた。終戦直後までは「平野運河」と呼ばれ、それ以降は正式には「平野川」であるが、私にとってはずっと「平野運河」 「運河」のままである。

 私が小学生だった頃には、曳き船が「いかだ」を引きながら往来していた。川面には「いかだ」が岸に係留されていた光景をよく覚えている。木材の独特な匂いが立ち込めていたし、当時はゴミが浮か、魚などが生息できる環境にはなかった。

 

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