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2008年1月29日 (火)

「ノブレス・オブリ-ジュ」

ノブレス・オブリ-ジュ(noblesse obligeとはフランス語で、日本語に訳せば「貴族の義務」・「高貴な義務」を意味する。そのような「貴族」「高貴」という意味を表す単語だと言えば否定的な感覚を抱く人もある。この言葉は聖書「ルカによる福音書」の中の「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」という言葉に由来しているようだ。

現代においては、多く与えられた者が社会の模範となる様に振る舞うべきだ。という人間としての社会的責任の問題として取りあげられている。あくまでも、その意識と行動は、多く求められ、任されたものが自発的な意思によりなされるべきものである。そのことは外部からの強制ではなく、あくまでも自分自身の内から湧き出てくるものでなければならない。人間としてあるべき姿が問われているのであろう。

たとえば、私が幸か不幸か、子どもたち・サッカー・スポーツを好きであると思ったならば、また自分自身が一介のサッカー選手でスターテイングメンバーに選ばれたならば、そのように思わない人々、そうならなかった人々よりも「多く与えられている」という感謝の想いを表現することが必要となる。人より以上に必死で、全力を尽くして一生懸命に取り組むというような気持ちが、誰からも強制されることなく心の内から湧き出なければならない。それが、私流に解釈する「ノブレス・オブリ-ジュ」である。

ただ、それは「あるべきもの」で、現実に私の中に少しだけ、しかし完全に備わっている「あるもの」ではない。どちらかといえば54歳である私の中に、そこまでの人間的な品位ある行動を取れているかどうかは自分自身でも疑問である。他者から見れば笑止のさたであるのだろう。「あるべきもの」と今の「あるもの」とのギャップは「課題」となる。地道な自己研鑽をして、その「課題」を乗り越え、少しでも「ノブレス・オブリ-ジュ」を抱ける人間に近づきたいと自分自身に言い聞かせている。

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