« 千日前「自由軒」 | トップページ | 「ヤスダ」再興 »

2007年9月15日 (土)

織田作おじさん

 45年近く前、鶴橋にある実家の西3軒となりに「織田作之助研究会」という木の看板を掲げていた家があった。そこに一人のおじさんが住んでいた。わが家では「おださくおじさん」と呼んでいた。着流し姿で、その家の玄関先で電化製品の修理をしていた。青白く弱々しい姿が目に焼きついている。

 小学校4年生の頃だった。ある日、父に聞いた。「おださくおじさんの家の前にある看板て、あれ何?」「おださくのすけという小説家を勉強しているらしい。おじさんは文士や」と父は教えてくれた。でも、わたしは織田作之助がどんな人か、文士という言葉の意味もわからなかった。

父は消防署に勤務していた。家の本箱から「消防月報」という雑誌を持ってきてペ-ジを開いた。「これや!」と私に見せた。そこには、おださくおじさんの本名で書かれた文章が載っていた。それを見て、文士というのが文章を書く人であるということを理解した。確かにおじさんは文士だった。

後年、織田作之助という作家が「夫婦善哉」という作品を残し、好んで大阪の庶民の暮らしを描いたことを知った。おださくおじさんは社会的な評価を得ることはできなかった。だが、確かに、わが路地裏に「織田作之助研究会」という看板を掲げた「文士」がいたことは事実である。

« 千日前「自由軒」 | トップページ | 「ヤスダ」再興 »

うぶすな大成通」カテゴリの記事