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2007年5月16日 (水)

氏神様 「御幸森天神宮」

  005_1                            私が生まれ育った地の氏神様は、「御幸森天神宮(みゆきのもりてんじんぐう)」である。JR環状線桃谷駅を降りて、桃谷商店街を東へ歩き、南北の疎開道路を横切った所にある。幼い頃から、「御幸森神社(みゆきもりじんじゃ)」と私たちは呼んでいた。私の実家は大阪市東成区玉津3丁目にある。もとの住居表示は大成通1丁目、その前は猪飼野大通1丁目という住居表示であった。今里・難波を結ぶ千日前通りの南側、JR環状線鶴橋駅から歩いて10分の場所にある。同宮は旧猪飼野村全域の氏神様であり、私の実家は同宮の氏地の北端に位置している。

 
 
昔、仁徳天皇が鷹狩りのためこの地に「御幸(行くことの敬語)」された折、幾度となく当地の森で休憩されたところから、このあたりを「御幸の森」と呼ぶようになった。西暦406年、人々はこの森に天皇の御霊を祀ったのが由緒として語り継がれている。西暦850年頃にこの地域で疫病が流行し、当時の社僧が京都五條天神社に詣でて災厄追放を祈願し、同社の御祭神である「少彦名命(すくなひこなのみこと)」の御神霊を御幸宮に祭ったところ疫病が収まったことから「天神宮」とも呼ばれるようになった。

「御幸森天神宮」は、幼い頃から氏神様として事あるごとに詣でた。ただ、実家から歩くと20分近くかかる。父や祖母に連れられていくことがあったが、氏神様は遠い場所にあるので出かける時はいつも億劫な気持ちでいた。1年に何度か自ら気持ちよく氏神様に詣でるようになったのは、45歳を過ぎてからである。私がその地で生まれ育ったという証のために、今も、私は「御幸森天神宮」のお守りを仕事鞄の中に入れ持ち歩いている。

【鎮座地】大阪市生野区桃谷3丁目10番5号

【参考】「御幸森天神宮由緒略記」

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