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2007年2月24日 (土)

長野県歌「信濃の国」

223日〈金〉付、朝日新聞朝刊に『県歌 長野はなぜ熱い?』という記事が掲載されていた。息子が長野市に住んでいるので、興味を持ってその記事を読んだ。

1899年、長野師範学校(現・信州大学教育学部)の教師が小学生向けに作詞し、翌年、同じ学校の音楽教師が運動会での女子ダンスように作曲、師範学校の卒業生が、各地の学校で広まった」。この歌を長野県の伝説にしたのは、「1948年の県議会。南北に広がる長野県は山や谷で地域が隔てられ、『信州合衆国』と言われるほど地域間対立が激しかった。この年、県庁の一部焼失を機に、北の長野と南の筑摩で分県論が激化。分県案が採決されようとしたまさにそのとき、傍聴席から『信濃の国』の大合唱がおこり、結局、分県案は流れたという実話だ」。

この歴史を踏まえて、1968年、長野県は『信濃の国』を県歌に制定し、多くの県民が歌うようになった。日本には「国歌」があると同じように、各都道府県にも「歌」がある。ただ、大阪・兵庫・広島・大分の4府県は制定していない。各都道府県の「歌」の中で、ご当地において歌われている頻度が多いベスト1が、長野県歌「信濃の国」である。通信カラオケにもあるようだ。日本で唯一、カラオケで歌えるのは「信濃の国」である。県庁電話の保留メロディ、出初式、小学校運動会でも使用されている。長野青年会議所は英語版のCDも作成した。長野県下、シングルCD2005年度年間売り上げベスト1を記録していることからもわかるように、長野県民にとって、県歌『信濃の国』は大切な歌のようだ。「歌」は、人々を繋ぎ結びつけるものである。そこに住むものにとって、みんなといっしょに歌える「歌」があるということは素敵なことである。共有できるものが、人々の「幸せ」を紡ぎだす。

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