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2007年2月12日 (月)

産湯(うぶゆ)

私が幼児だった頃の記憶が今も鮮烈に残っている。幼稚園へ入る前の記憶だ。家の前の路地を騒々しく、あわただしく、白いエプロン姿のおばさんたちが行き来していた。自分たちの家で沸かしたお湯をある家へ順次に運び入れていた。おじさんたちは、指示だけは出すが高みの見物気分のようだった。私はそのことがどんなことか解らなかった。「早く、早く、」おばさんの形相は怖かった。

「何してんの?」と母に聞いた。「赤ちゃんが生まれるんやで」 長屋のおじさん、おばさんそして私たち小僧っこは、今までの騒々しさが嘘かのように静まり返りその家の玄関前に立っていた。家の中から、Sおばさんのうめき声が聴こえてきた。「Sちゃん、がんばんねんで」両手をあわせてAおばさんは真剣な顔で拝んでいた。「まけたらあかんで」みんなは両手を胸の前にあわせて立ち尽くしていた。

「おぎゃ-ん」という声が聞こえた。静まり返っていた雰囲気から一転して、「産まれた!」「産まれた!」 歓声が長屋中にとどろきわたった。それでもみんなは立ち尽くしていた。産婆さんが、赤ちゃんを抱いてその家から出てきた。歓声がまた沸いた。おとな連中は、産まれたばかりの赤ちゃんに群がった。そのあと小僧っこたちの番だった。順番に赤ちゃんと対面した。私の番だった。恐る恐る覗き込んだ。小さかった、赤かった。手と頬に触れた。柔らかかった。不思議な気分だった。

そばにいた祖母が私にささやいた。「あんたもこうして産まれたんやで」。

私は、昭和28年7月22日 大阪市東成区大成通り1丁目56番地で産まれた。大阪・下町の路地裏で、この世に生を受けた。その時の情景は知る由もない。ただ、後日、長屋の大人たちの産湯を授かり産まれたことを、祖母、母、長屋のおばさん連中から聞かされた。

私の幼い日の記憶は、同様な状況の中で私もまた産まれたことを証明している。私は自分自身の産まれた瞬間を見てはいないが。隣組の人々の騒々しくあわただしく立ち回り、また静寂の中で両手を胸の前で合わして拝んでいただいた中で産まれたと、私は信じている。

 私の本籍は現在、大阪市東成区玉津3丁目56番地となっている。昭和49年に住居表示が、旧来の大成通り1丁目から玉津3丁目に変更となった。産まれて54年を経た私は、今はっきりと確信を持っていうことが出来る。私のうぶすな(産土)は、大阪市東成区大成通り1丁目の、その地とその路地裏に住む人々である

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