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2006年12月17日 (日)

立原道造(1914~1939)

それは あやまちではなかつたろうか いまもなほ 悔いではなかつたろうか だが しかし ゆるやかに 私たちの眼ざしの底から 熱い夢のような しあはせが 舞ひのぼる 陽炎のように 〈道造)

道造の恋人である水戸部アサイは、療養所で末期の道造に献身的につかえ、残雪が寒風で凍てる夜も、ベッドの下の床にふとんを敷いて寝た。パステル画とハ-モニカをこよなく愛した建築家・詩人である立原道造は、看病の甲斐もなく、24歳の生涯を閉じた。アサイに対する想いを、詩集にまとめようとするも実現には至らずに。道造の死より8年後、周りの人々の手で詩集「優しき歌」が刊行された。

19歳の晩夏、信州・軽井沢近くの信濃追分のはずれ、からまつ林の中を僕たち四人は歩いていた。自分たちの未来を、灰色にしか描きれなかった男女2人組だった。ひとりの女は、その4年後に22歳で結婚するも、まもなく別の男と仙台へ駆け落ちした。もうひとりの女は、関西学院大学院心理学専攻課程を修了し、カウンセラ-として病院に勤務し結婚するも子供はいない。ひとりの男は、20代で離婚し、佛教大学の通信課程で教員資格を取得して、大阪市内の小学校の教員になった。

もうひとりの男である私は、今、19歳の想いを心に引きずり「迷える子羊」のままに、ささやかな幸せを求めつつ、地域の子どもたちのサッカ-クラブに関わって小市民的な生活を送っている。人それぞれの想い。人それぞれの人生。道造の詩を読むと、ふと、昔のあの時が甦る。

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