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2006年12月16日 (土)

恋歌風塵によせて

恋をしていますか?恋という言葉を日常会話の中で最近使ったことがありますか?風采が上がらない男が、恋という文字を記すことに否定的な声が聞こえてきそうです。「何を考えているの?」「恥ずかしくないの?」「馬鹿じゃない?」「いやらしいわ!」「女性問題で悩んでいるのよ。」「ぜったいに、ぜったいに、愛人が居るのよ。」等々、男女間の情愛、情欲に人の妄想は膨らんでいきます。「恋」は日常生活の中で存在しない感情、憧れはあっても抱いてはいけない感情、今の私たちの年代にとって、抑圧してしかるべき感情としてとらえられています。しかし、「恋」とはそんなにいけないものでしょうか? ふと疑問に思えるときがあります。

恋とはいったい何でしょう?「広辞苑」をひも解けば、「恋」とは、(1)一緒に生活できない人や亡くなった人に強く引かれて、切なく思うこと。また、そのこころ情。(2)植物や土地などに寄せる思慕の情。とある。「恋」という文字はかつて、上に「糸言糸」を並べ、下に「心」と記した。漢字の成り立ちからは、もつれた糸に言葉でけじめをつけようとしても、心が乱れて思い切りがつかないことが本来の意味です。そこには、男女間だけという限定はありません。今、私たちは「恋」を男女間の情愛、情欲という小さく狭い鉄柵に閉じ込めているようです。言葉の原義に基づけば、森羅万象のすべてを対象にして、どうしようもないほど引き付けられ、心が乱れ、満たされず苦しくつらい想いを「恋」と呼んでもいいのかもしれません。

 その対象にどうしようもないほど引き付けられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持ちを、自分自身の心の中にしまいきれずに、誰かに伝えたい。古来より、人はその時の気持ちを何かの形で表現してきました。それが恐らく今ある文化を生み出した底流となっているのでしょう。古今東西の「恋歌」を読んでいると、その時の激しい男女間の情愛、情欲のほとばしりを言葉でもって表現されています。普遍的な意味で、人が人として生きていく上で、森羅万象に対する「想い」「心」が如何なるものか。また、どれだけ価値があるものかを、教えてくれているような気がします。

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