2021年2月 4日 (木)

「冬のデナリを読み、懐かしく想いだした!

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「冬のデナリ」(著者;西前四郎/㈱福音館書店 2004.2.20発行)

 

以前に読んだ本、「冬のデナリ」を本棚から取り出してパラパラとページを繰りました。「冬のデナリ」は、北米大陸最高峰「デナリ」の冬季初登頂の若者たちの夢と挫折と屈従と希望の山岳物語の秀作です。


著者の西前四郎氏は、僕の高校時代の英文法の先生でした。先生の授業の副読本で初めて「ムーミン」のことを知りました。僕は劣等生ではありましたので英文法など興味もなく、ただ「ムーミン」は好きでしたね。


「デナリ」はエスキモー語で「大きな山」「高きもの」「偉大なるもの」を意味します。ただその山の名は、長らく米国大統領の名「マッキンレー」とも呼ばれていました。わが国の登山家・植村直己さんが冬季単独登頂を果たしながら下山途中で行方不明になった山です。


その山の名が「デナリ」か「マッキンレー」かと長年にわたり問われ続けていましたが、オバマ大統領の時代に正式名称として「デナリ」と呼ばれることになりました。


それから幾星霜、今から33年前、僕たち家族は信州へ旅行することになりました。八方尾根へロープウェイとリフトを乗り継ぎ、そこからハイキング気分で八方池へと登りました。眼前に美しい峰々を眺めながら、その池のほとりで前夜宿泊した山荘で作っていただいた弁当を家族みんなでおいしくいただきました。


その時、わが子どもが「あの山は何?」と聞き、僕は慌てて周りの標示版らしきものを見つけ「白馬岳」だと初めて知り、子どもに「あの山は白馬」や!」と伝えました。


そう、その時なのです!僕は記憶の奥底に隠れていた「つかもと、山岳部で“白馬”へ合宿に行くよ!山を歩くことは楽しいぞ!」という昔むかしの先生の言葉を思い出してしまったのです。


眼前に見える峰が、ああ、これが白馬か!と。もしかしたら僕たち家族の「山登り」ではなく、ささやかな「山歩き」の幾年かのひとときはその時に始まったのでしょう。


それから幾年かを経て、偶然にも新聞記事で西前四郎先生が「冬のデナリ」を出版されたことを知りました。まったく西前四郎先生の人生のひとこまを知らないままですごしていたのです。その本を読み本当に感銘を受けました。モーリス・エルゾーグの「アンナプルナ」の一文も読みました!


その本のあとがき末尾で、「日本の若い人々がこの冒険と人生の物語に耳を傾けてくれたら、なによりうれしいことです。」(1996.8.31)と先生がしるされました。


素直に僕はその言葉の「冒険」ではなく「挫折」「屈従」の青春、それが人生の物語につながるものだと興味深く読ませていただいたのです。それは事実です。


この著作は、編集部よりの一文で締められました。「著者の西前四郎氏は、本文、写真キャプション、地図等の推敲をすべて終え、本書刊行を目前にした1996年10月10日、急逝されました。」と。


あの時代の高校での仲間たちとの日々、僕と西前四郎先生との人生の交差点を思い出し、遅まきながら先生への敬意を表する想いとして、西前四郎先生のプロフィールを記します。


西前四郎氏 プロフィール
1935年、鹿児島市に生まれ。大阪外国語大学卒業
1964年アラスカのセント・エライアス峰第3登。この年よりアラスカ・メソディスト大学などに学ぶ。
1965年デナリ峰39登。
1967年デナリ峰冬季登山隊に参加。帰国後、大阪府立高校に勤務。
1975年、ダウラギリ4峰登山
隊登攀隊長。
1996年没 享年61歳

 

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