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2009年7月12日 (日)

「太陽は美しく輝き あるいは・・・・・」

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 太陽は美しく輝き あるいは太陽の美しく輝くことを希ひ
 手をかたくくみあわせ しずかに私たちは歩いて行った
 かく誘うものの何であろうとも 私たちの内の
 誘わるる清らかさを私は信じる・・・・・・・・・・・
 
(わがひとに与ふる哀歌/伊藤静雄)

 
「日本浪漫派」の代表的な詩人・伊藤静雄(1906~1953)が詠った詩の一節である。何かに誘引されて、本棚の分厚い一冊を取り出してページを開いた。黄ばんで破れたパラフィン紙が、永年、本棚に忘れられて見向きもされず、放置され続けていた証なのだろう。償いの意味を込めて、太陽の下で、その本を写真に収めた。

 
「定本 伊藤静雄全集」 昭和49年11月(1974)重版発行、定価4800円となっている。余りにも高価であった。35年前、私が20歳、大学生の頃、大阪市・福島区にあったシルクスクリーン印刷工場でアルバイトをして得た収入をつぎ込んで買った。おそらく大阪・梅田の旭屋書店だったと思う。

 恋歌である。かつて、はじめてその詩を読み、確かに、詩人・伊藤静雄に惹かれた。今、その詩を読んでも同じ想いだ。忘れてはならない「清らかさ」を、消え去ってゆく危うさに怖さを感じながらも、ずっと胸に刻み続けていたい。

Books 「空ニモ書カン」

Photo_4 著者:吉見良三/発行:㈱淡光社(1998.10)/定価:3000円+税/P.456

「紙無ケレバ、土ニ書カン。空ニモ書カン。」「保田與重郎の生涯」

【コンテンツ】 紙無ケレバ/生家/国のまほろば/日本浪漫派/美へのかけ橋/鳥見のひかり/偉大な敗北/帰農/別れの賦/ほか

 この本は、1995年3月~1997年11月、奈良新聞で週1回連載されていたものに加筆され、単行本として出版された。奈良新聞に連載時に興味を抱き読んでいた。14年前になろのだろう。素直になぜ? 今どうして?という疑問が湧いていながら読み進んでいた。単行本化され、すぐさま購入した。

 著者は、保田與重郎を避けてきたという。「右翼の民族主義者」「日本を敗戦に引きずり込んだ分子」という戦後のジャーナリズムの一般的評価を疑念もなく受け入れてきたと書き記していた。保田與重郎は、「滅びの美学」「散華の思想」の信奉者としてのレッテルを張られたまま戦後を生きた。

 著者が定年の後に、保田與重郎を読む気になり、読み進むにつれ、戦後知識人が断罪し、封印したその姿に違和感を抱き、今一度、見直す必要があるのではと、渾身を込めて執筆された価値ある一冊だ。

 
「紙無ケレバ、土ニ書カン。空ニモ書カン。止マルトコロ無ケレバ、汝ノ欲スルママ、風ノマニマニ吹カレユケ。・・・・・」 保田與重郎)

 「グローバリズム」という世界的趨勢のなかで、その行き詰まりとして「ナショナリズム」が各地域で噴出している。わが国も例外ではない。「日本回帰」という情況が現出していることは事実だ。私は、「国粋主義者」や「ナショナリスト」でもないが、今一度、保田與重郎、「日本浪漫派」を呪縛された視点から離れて、いかに評価するか、しないかを見つめ直しておかなければならないと思う。

「東京ブラススタイル」の「放課後プロジェクト」とは?

 「東京ブラススタイル」という11人のガールズ・ブラス・ユニットが活躍している。ジャズ。ロック、スウィング、ラテンなどの曲をブラスバンドスタイルにアレンジして、パフォーマンスで魅了し大人気を博している。

 わが国の小中学校での文化会系部活動の中で、最大級の人数を誇るのが、「吹奏楽部」だ。高校部活のスポーツ大会の応援に、「吹奏楽部」はつき物である。高校野球、高校サッカー、高校駅伝しかり。「吹奏楽部」は文化会系に属するのであろうが、私にはどちらかといえば、体育会系のように感じている。まさに肉体を酷使する。

 「東京ブラススタイル」は、「放課後プロジェクト」を実施している。全国各校の吹奏楽部を訪れ、演奏したり、楽器の指導を通じて、音楽の楽しさ、プロへの夢を育む、最後は合同演奏、素敵な体験プロジェクトだ。素直に書き記しておけば、私は楽器など演奏できはしないが、「吹奏楽部」が大好きなのだ!

「東京ブラススタイル」公式サイト

「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が京セラドーム大阪で開催

 7/18(土)~20(月・祝)、日本地ビール協会主催の「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が、大阪市西区・京セラドーム大阪で開催される。約50社140種類以上の地ビールが出展される予定だ。

 入場料は当日4300円、地ビールが飲み放題となる。今回で12年目となる。毎年、出かけてみたいという気持ちが湧いては来るのだが、残念ながら実現できてはいない。今年もまた出かけることはできない。

「日本地ビール協会」公式サイト

2009年7月11日 (土)

ストリートライブ 「楓」(かえで)

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 大阪市西区・九条から西梅田にある「ジュンク堂書店」へ本を買うために寄り道した。地下街を歩くのは閉塞感があって余り好きではない。それより暑かったとしても太陽を浴びながら地上を歩きたい。もうひとつ高い場所に立ちたいというのが、私の変な性向だ。

 梅田阪急百貨店前の歩道橋を渡った。地下や平面の地上を歩けば労力も少なく快適であるはずた。でも、その歩道橋を渡った。遭遇した!歩道橋の上で若者たちがストリートライブをしていた。グループの名は「楓」(かえで)というようだ。

Photo_4  室内のライブコンサートのように特定の若い観客が来ている訳ではなく、通りすがりの者たち、年齢・性別はさまざな人々が耳を傾けていた。仲間たちはチラシを配布していた。私もまた、一観衆として立ち止まりしばらくの時間、彼らの音楽を聴いていた。

 ライブコンサートではもっと派手なメイク・衣装で演奏するのだろう。ストリートライブはおそらく彼らの「自然なありのままの姿」が表現されている。聴いているのか、聴いていないのかわからない、通りすがりの者たちに、一生懸命に彼らの想いを伝えようとしていた。

 自分たちが、何を伝えたいのかにこだわれば良い。第三者が若さの未熟さを指摘しても、気にすることはない。歌え!叫べ!素直な自分自身であれ!きっと自分自身も変わり、周りをも変えていくことの希望が見えてくるはずだ。頑張れ!頑張れ!!
 

「2009近畿まほろば総体」開会式は、徒歩で!!

Photo_3  7/28(火)「2009近畿まほろば総体」の総合開会式が、奈良市鴻ノ池陸上競技場で開催される。当日、14,000人余りの参加者が見込まれている。7/11(土)奈良新聞紙上で、「開会式は徒歩で来て」「団体バスは乗り入れなし」という記事が掲載されていた。

 奈良市鴻ノ池陸上競技場へは、南北に伸びた一本の道路しかない。開会式は10:00、来場は7:00~9:00に集中する。道路は混雑・渋滞することは間違いない。実行委員会は当日、バスの乗り入れを断念した。ただ、遠隔地で宿泊している選手団、公開演技の出演生徒はバスで送迎するが、ただ、開会式会場までは運行せず、約1キロ離れた降車場までとなる。

 7/28(火)午前、私用、仕事でその周辺を車で通過することを自粛しておいた方がよい。当日、その周辺は、いろとりどりの徒歩軍団で賑わうのであろう。日頃、遭遇することがない光景が展開されることは、ちょっとした楽しみだ。

「2009近畿まほろば総体」公式サイト

Cinema 「浪漫者たち」を観て

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 7/11(土)朝、大阪市内へ所要のため出かけた。その所要を済ませて、午後、大阪市西区・九条にある「シネ・ヌーヴォ」で、映画「浪漫者たち」を観た。

 私は、「シネ・ヌーヴォ」という映画館が大好きだ。こじんまりとして芝居小屋のような雰囲気がある。商業的映画館では取り上げられない価値ある作品を数多く上映し続けている稀有な映画館だ。

 「浪漫者たち」という映画を観たいと思ったのは、ポスターに掲載されていた「青春紀行」「三輪山」「ゲーテ」「大和」「日本浪漫派」という言葉だった。特に「日本浪漫派」という言葉は、少数の人々しか知らない。それが、なぜ今?という素朴な疑問が、よりいっそう興味を抱かせた。

 日本的なものに憧れを抱く、俳優である一人の若者が「やまと」「三輪」を旅して、昭和初期の文学運動「日本浪漫派」、大和・桜井で生まれ育った文学者・保田與重郎(やすだ よじゅろう)を知り、最後に、くじけない「浪漫者たち」の魂を独白する。「浪漫者」は、「青春のさまよい人」なのだろう。

 三輪山、大神神社、桧原神社、狭井神社など、やまとまほろばの風景が、映像として、たおやかに美しく描かれている。日本的象徴として、「能」「謡曲」「茶道」が作品の中にちりばめられている。 「日頃使わない“まほろば”という言葉が頭に浮かび、自分が日本人であることを内面から認識させられる。これがわれわれの原風景なのだと。」と、かつて著名な文部官僚であった寺脇 研 氏(京都造形芸大教授・映画評論家)が、映画のプログラムの中に記していた。

 文学者・保田與重郎は、戦前・戦中の言動に対して、戦後、「国粋主義者」「戦争の賛美者」と位置づけられ封印された。戦後のその評価がほんとうに正当なものであるのだろうか? この映画の中では、保田與重郎は肯定的にとらえている。

 「三輪山の懐を母の胎内として育った私は、その霊気と保田與重郎氏の言霊の妖気とが渦巻く潮の中で、・・・・・・ 張り裂けそうな青春であった。今、このような映画が生まれたのには驚いた!多くの示唆に富む映画だ。」と奈良・桜井で育った舞踏集団「大駱駝艦」を主宰する麿赤児(舞踏家・俳優)は一文を寄せている。作家・三島由紀夫を追慕した田中千世子監督の渾身の共感を抱く作品だった。

「浪漫者たち」公式サイト

「大和桜井フィルムコミッション」公式サイト

「シネ・ヌーヴォ」公式サイ

「大駱駝艦」公式サイト

「若い力」が、何かを変えるだろう!

 明日、7/12(日)は奈良市長選挙・奈良市議会議員選挙が行われる。私の存じ上げている若者二人が出馬している。仲川げん氏(33歳)が市長選、柿本元気氏(30歳)が市議選へ、二人の若者のチャレンジ精神に敬服している。彼らは「浪漫者たち」なのだろう。

 時代は閉塞感が漂い、さまざまな領域において大きな転換点を迎えていることも事実だ。「変わる」ことを待つだけでは、社会は「変わらない」。「変えよう」と思い実行に移したときに、初めて、社会は「変わる」。いつの時代も「若い力」が変革の旗手になってきた。そのことは今も同様だろう。

 私は「若い力」に想いと希望を託す。二人のご健闘を心から祈念している。

「歌/国民体育大会歌・“若い力”」Webサイト

 

「FCバルセロナ」が福岡で、常設サッカースクールを開設!

 スペインの名門サッカークラブ「FCパルセロナ」が福岡県春日市で、9月から園児・小学生対象の常設サッカースクールを開設する。名称は「FCB Escola 福岡」。6~12歳の子どもたち200~300人を募集している。

 福岡県営春日公園球技場を会場として利用する。「FCパルセロナ」側が、使用できる「天然芝競技場」を探している中で、福岡県が誘致に動き実現した。「FCパルセロナ」の世界戦略の一環なのだろう。スポーツの世界でも時代は大きく変化してきた。

「FCB Escola 福岡」公式サイト

「福岡県営春日公園球技場」Webサイト

Books 「関西のレトロ銭湯」

Img_0002 監修:町田忍/写真・文:松本康治/発行:戎光祥出版(2009.05)/定価:1500円+税/P.135

 わが国の庶民文化の象徴である「銭湯文化」が消失しつつある。町の「銭湯」が時代の趨勢とともに激減している。その中でも、文化財的な「クラシック銭湯」が、今なお営業を続けている。

 この本は、関西地方のレトロな銭湯を紹介している。その写真を観ただけで、湯船につかった時のようなほっとした気分になってしまう。

 

「関西の名銭湯」Webサイト

2009年7月 9日 (木)

「地球よとまれ、ぼくは話したいんだ」 その本を思い出して

Img_0003 著者:東 由多加/発行:講談社文庫(1981.12)/P.192

【コンテンツ】 「天井桟敷」からの」逃走/三十すぎは信じるな/漂流日誌/さくらんぼユートピア顛末記/矢吹ジョーとロッキー/寺山修司論/劇場の中の青春/ほか

 最近、私自身の外見は衰えつつある。それに反比例するように、不思議なもので、心の持ち方は、良いのか悪いのかはっきりと自分自身では判断できかねるが、意識、精神は、あの時へ戻りつつある。いや、戻っている。

 表紙がぼろぼろになり、ページが黄ばんだ文庫本を本棚から取り出し拾い読みした。1960年代後半、ミュージカルで世界を駆け巡った「東京キッドブラザース」の主宰者・東由多加氏の青春の記録だ。

 「ぼくは自分の中に、60年代後半の精神が今なお色濃く痕跡をとどめているのではないかと思う。一人の人間がひとつの時代気分から抜け出られないということは、どういうことであろうか?」

 
著者は冒頭でその言葉を書き記した。その一文は、私を今も惹き続けている。この文庫本をぼろぼろになりながらも捨てきれずにいる理由がその言葉にある。

 
「60年代の後半から若者たちを駆り立てていたものは、明らかに現実原則を否定した、ロマンチシズムの香りがたちこめる「愛と平和」のための戦いだったと思う。それがいかに大人達から楽天主義のそしりを受けようが、・・・・・・時代の変革に情熱を捧げていた。」

 
私は、「その時代」、変革に情熱を捧げてはいない。ただ、、「その時代」の雰囲気の中で私の青春期を過ごしたことは事実だ。私にとっての「疾風怒涛の時代」だったと、今振り返ればそう思う。まじかに56歳の誕生日を迎えようとしている今宵、18歳の時に抱いた「疑問」に対して、問題解決できてはいない自分自身が存在している。

「東京キッドブラザース ファンサイト」Webサイト

「奈良市スポーツ振興審議会小委員会」に出席して

 今日、奈良市役所で14:30から開催された、「奈良市スポーツ振興審議会小委員会」に出席した。審議案は「市営プールの今後について」、奈良市の財政事情から二つの市営プールの存続についての審議だった。その審議内容については記載しない。

 ただ、私が素直に感じていることは、「スポーツ振興」という国の施策に対して、奈良市は確かに実践しようとはしてはいるが、それはあくまでも、国が方針を出しているから、他都道府県が実践しているから、わが市も遅れずにという受身的な行動でしかないのかもしれない。残念ながら、「スポーツ振興」に関してのわが国の方針にそった、主体的、抜本的な改革を試行する雰囲気ではない。

 夕刻、二名中学校へ寄った。校長先生へご挨拶に伺った。以前から気になっていた。もっと早くお伺いすべきであったのだが、平日、時間が取れなかったことは事実だった。お会いしてお話を聴いていただいたことだけでも有意義であったのだろう。

 登美ケ丘北中学校へ出向こうと思ったが、二名中学校から徒歩で行かなければならない。時間が掛かりすぎる。やむなく伺うことができなかった。残念である。平日に気兼ねなく、もっともっと行動できるような生活ができればと、ちょっぴりとした「憧れ」を感じている今宵である。

「原爆症の妻を撮り続けて」を読んで

 7/8(水)日本経済新聞朝刊文化面に掲載されていた「原爆症の妻を撮り続けて」を読んだ。執筆者は川本昭人さんだ。妻が原爆症を宣告されて後、41年間、その姿を映し続けている。その作品が、映画「妻の貌(かお)」としてまとまられ上映される。

 「ささやかな幸せに包まれ、私たちは人生を歩んできた。だが時折、静かに流れる日々の暮らしに黒い影が差す。妻は原爆症だから。」 その一文の言葉は重い。41年間、8ミリビデオ、ビデオ等で映し出そうとした想いとはいかなるものだろうか? 

 私は 幾日か前、映画「妻の貌(かお)」が上映されることをプログに掲載した。
 「家族に迷惑をかけないように、いつも黙って耐えていたキヨ子。ある時、私が向けたカメラを見据えて叫んだ。“戻してちょうだい。私の人生を”。本音だったと思う。」 
 
その言葉を読んだ時、正確に書記せば、「観たい!」という希望ではなく、「観るべきだ!」 「観なければならない!」という義務感が私を襲った。

「妻の貌(かお)」公式サイト 

「私を断罪せよ」~岡林信康フォークアルバム~

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 7/7(火)、七夕の日、日本経済新聞夕刊の文化面の記事、「岡林フォークに若者 共感」を読んだ。 1960年代末、若者たちにとって「フォークソングの神様」として岡林信康(62)は存在した。40年を経て、今再び脚光を浴びている。「暗い社会情勢の中、若者たちが明日を模索する歌詞に共鳴し、音楽の新鮮さに心を動かす」そのような状況が共感を生み出している背景にあるという。

 久しぶりに、岡林信康の復刻盤「私を断罪せよ」を聴いた。1969年に録音されたことははっきりと明記されていた。1992年、私が38歳の時に復刻された。私がそのCDアルバムをいつ買ったのかはっきりとしない。そのCDアルバムが我が本棚の片隅に存在するということは、その時、岡林信康の歌を聴きたいと思い買ったことは確かだ。

 「くよくよするのはもうやめさ 今日は昨日を超えている」 (今日をこえて)
 「暗い手紙になりました。だけど、私は書きたかった」 (手紙)
 「それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ」 (それで自由になったのかい)
 
「あいつにあったなら あの世で二人また旅に出よう」 (ランブリング・ボーイ)
 
「友よ この闇の向こうには 友よ 輝く明日がある」 (友よ)

 
岡林信康の歌は、間違いなく、その時代をはっきりと映し出した音楽であることは間違いない。今晩、「私は断罪せよ」というCDアルバムを聴きながら、岡林信康、本人が彼自身をどのように判断しようがしまいが、1960年代末を象徴するシンガーであったことは、大袈裟かもしれないが、まさに歴史的事実そのものだ。「友よ」という歌を叫び歌っていた青臭い、純情なあの頃を、今、思い出した。

2009年7月 7日 (火)

全国高校総体(サッカー)奈良県代表組合せ

【1回戦】 
8/2(日) 橿原公苑陸上競技場
10:00 奈良育英高校 対 東海学園(愛知)

【2回戦】
8/3(月) 橿原公苑陸上競技場
10:00 一条高校 対 東福岡高校(福岡)・徳島商業高校(徳島)の勝者

 
「2009近畿まほろば総体」のサッカー競技の組合せが決定した。1回戦、奈良育英高校は、愛知県代表の東海学園と対戦する。一条高校は2回戦からの出場となる。福岡県代表の東福岡高校と徳島県代表の徳島商業高校との勝者と対戦する。奈良県代表、奈良育英高校、一条高校両チームの健闘を心から祈っている。

「全国高校総体(サッカー)組合せ/2009まほろば総体」公式サイト

「うましうるわし奈良」~さあ、奈良へ~

Img_0001  「日本人の原点を発見する悠久の旅へ」「さあ、奈良へ」

 
「2009近畿まほろば総体」もあと20日余りに近づいてきた。日本の一番の夏を「まほろば奈良」で過ごそう。インターハイ観戦に少し疲れたなら、「やまと」の風を肌に感じてみよう。スローではなくアンダンテな時が流れている。

 「いにしえ」として忘れられたものではなく、その風土と歴史は、古臭いものではなく、新たな未来への価値ある道しるべの香りが漂っていると感じる。

 今年、「2009近畿まほろば総体」、来年は「平城遷都1300年祭」が開催される。明治以降の欧米礼賛主義の道を走り続けてきた今、大きな転換点にわが国が差し掛かっている時に、偶然なのだろうか、「奈良」が脚光を浴びつつある。この夏、原点への旅を!

うましうるわし奈良/JR東海」Webサイト

「知れば知るほど“奈良”はおもしろい」~奈良観光ガイドブック2009夏・秋号

Img  「奈良県ビジターズビューロー」が発行している無料の奈良観光ガイドブック「「知れば知るほど“奈良”はおもしろい 2009夏・秋号」を手に取った。無料ながら興味ある記事や魅力的な写真が素敵な冊子だ。

 「古より育まれたよきものを歩き訪ねる。」「その音、舞い、風雅なり。」「大和で育まれた芸能のルーツを旅する。」

 大和は、「能楽」の前身である「猿楽」発祥の地であることは知ってはいたが、観世座、金春座、宝生座、金剛座の「大和猿楽四座」の中の観世座、金春座にまつわる地が、田原本町、川西町だとは知る由もなかった。

 金春座の伝承地が田原本町の「秦楽寺」(じんらくじ)、「市杵島神社」(いつきしまじんじゃ)。観世座発祥の地として川西町結崎に「面塚」がある。観阿弥、世阿弥が芸道に励んだ本拠地だと伝承されている。訪れたいと思っている。

「奈良県観光情報 大和路アーカイブ」Webサイト

2009年7月 6日 (月)

「大人には、いい休暇をとる、という宿題があります。」~青春18キップ~

Img_0001  「何歳になっても、いい夏休みを。青春18キップ」(パンフレットより)
 いよいよ、私が一年で一番大好きな季節がやってくる。それは夏だ。特に私の誕生日、7/22~8/15までの期間は、私自身にとっての最高の季節だ。

 今晩、「青春18キップ」のパンフレットを手にした。そのネーミングといい、その内容といい、心の琴線に触れる「JR」のヒット商品だと、私自身は思っている。

 今年の夏のパンフレットの写真は、山口線・篠目駅近くの風景だった。毎回、パンフレットの写真を見ると旅情が騒いでしまう。鉄道はロマンチシズムを感じさせてくれる。

 あと何年かしたら、もし、その時、まだ「青春18キップ」があれば、それを利用して気ままな旅に出かけるつもりでいる。「大人には、いい休暇をとる、という宿題があります。」(パンフレットより)

2009年7月 5日 (日)

夕暮れ時に、ピアソラを聴いて

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 7/5(日)午後、体調芳しくなく、奈良県スポ少大会を途中で切り上げ自宅へ帰宅した。最近確かに体の変調をきたすことがただある。少し、自分自身では気になってはいる。

 夕暮れ時、わが家の一室で、音楽を聴いていた。「ピアソラ名曲選~アストル・ピアソラ、伝説のライブ」(ビクター/2005)だ。そのアルバムの中の「リベルタンゴ」を繰り返し聴いた。私はアストル・ピアソラのその曲が大好きだ。「リベルタンゴ」とは日本語に訳せば「自由なタンゴ」となるのだろうか。

 かつて、サッカーで「リベロ」というポジションがあった。最後尾で「自由に」動ける役割りを与えられた。ドイツのフランツ・ベッケンバゥアーがまさにそのものだった。サッカーの世界でも衝撃的な変革が生じたこともあった。既成概念からの自由を求めて。

 アルゼンチンという国の民族音楽でしかない「タンゴ」にも大きな変革が生じた。アストル・ピアソラは、まさに、その「タンゴの革命児」なのだろう。 既成概念を打破しようとしたアルゼンチンが生んだ人間はと問われれば、「チェ・ゲバラ」、「ディエゴ・マラドーナ」、「アストル・ピアソラ」を、私は挙げてしまう。

 アストル・ピアソラが絶頂期にあった1984年、生まれ故郷であるマル・デル・プラタのロキシー劇場での収録されたライブでの「リベルタンゴ」を繰り返し聴いた。アップテンポで演奏されている。どこか歯切れがよくまた情念的だ。故郷での演奏がそうさせているのだろうか?観客の拍手が私の耳に心地よく響いた。

奈良市・「鴻ノ池」の水面を・・・・・?

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「ならしみんだより7月号」は特集「2009近畿まほろば総体」

Img_0001  「ならしみんだより7月号」の表紙は「2009近畿まほろば総体」で、特集記事が掲載されていた。奈良市では、陸上競技大会、レスリング競技大会、自転車競技大会が開催される。残念ながらサッカー競技は、奈良県中南部での開催となる。

 総合開会式は、7/28(火)午前、奈良市・鴻ノ池陸上競技場で開催され、各都道府県の選手・監督・役員・式典参加者など約13,000人が参加し、マーチングバンドの演奏の中、選手団が入場する。その後、奈良県内の高校生1,300人による公開演技が実施される。当日の模様はテレビ放送される。

 陸上競技(7/29~8/2)には5日間で約84,000人、レスリング(8/3~8/6)には4日間で約5,800人、自転車競技(8/1~8/3)は4日間で約7,300人が参加する。その期間中、奈良市内は渋滞が予想される。

「2009近畿まほろば総体」公式サイト

信州・長野駅前「如是姫像」(にょぜひめぞう)

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 昨晩、娘から電話があり、京都から私の家の近くの賃貸ハイツに引っ越してくるという。その電話で、長野へのサッカー観戦計画はどうなっているのだろうか?と問いかけがあった。

 当初は、7/26(日)ホーム・南長野JAPAN総合運動公園球技場での対ツエーゲン金沢戦を予定していたが、その日は母の四十九日のため観戦に出かけることはできない。

 8/2(日)北信越フットボールリーグ最終戦は新潟市で、対JAPAN SC。8/15(土)~16(日)北信越社会人選手権もまたも新潟市。8/30(日)長野県天皇杯予選決勝は松本市、いづれにしようか決断に迷う。

 昨晩、「長野」という言葉を聞いて、「発作マグマ」が噴出しだした。パソコンから写真を取り出した。5/16、信州・長野駅前にある「如是姫像」の写真だ。悪疫から回復した天竺(インド)の「如是姫」が、快癒に感謝して「善光寺如来」に向かい香花を捧げている姿である。

 私は「如是姫」ではないが、AC長野パルセイロに感謝の気持ちを抱きつつ、北信越フットボールリーグ二連覇を、はるか西方のまほろば奈良・春日から、信州のさわやかな風を思い描きながら祈念している。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

「AC長野パルセイロスペシャルリンクス」

Books 「NARASIA」(ならじあ)~日本と東アジアの潮流~

Img 監修:日本と東アジアの未来を考える委員会/編集構成:松岡正剛/発行:丸善㈱(2009.05)/定価:1800円+税/P.359

【コンテンツ】 いま何を構想すべきか/奈良と東アジアを編集する/日本と東アジアの300年を見る/日本と世界の未来を感じる/ほか

 平城遷都1300年記念出版。全ページオールカラーの写真が満載されている。「私たちがいるのは東アジアの地中海」、日本と東アジアをつなぐ新たなヒントがそこにある。

 「いま、世界とアジアと日本には、“多様性”と“統合性”をめぐるとてもよく似た問題群が、ほぼ同時に押し寄せています。」と問題提起され、「この本は、そうした世界とアジアと日本と奈良を切り離すべきではないという<NARASIA>(ならじあ)の視点から、都合1300年をこえる時空をまたぐ歴史と文化を、政治と経済を、事件と意匠を、展望したものです。」とこの本の中で記されている。図鑑のように興味ぶかい貴重なカラー写真のオンパレードに圧倒された。

 今、時代は大きな転換点を迎えている。わが国の文化はアジアとくに東アジアとの悠久の交流の中で、独自的な文化の礎を築いてきた。しかし、明治以降という短い時の流れの中で、欧米との交流が、文化的流入の氾濫となり、物質的な豊かさを享受できているという利益を得ながらも、わが国の独自性ある文化を消失しつつあるような状況下に追いやったことはほぼ事実だろう。

 来年は「平城遷都1300年祭」を迎える。平城京が遷都された時代を「奈良時代」という。西暦704年に、「日本」という国号が初めて用いられた。710年に平城京へ遷都した。その当時のわが国の人口は900万人で、概ねその時代に、「日本」の母型が形作られたという。

 それ以降、わが国の時代区分でいえば、平安、鎌倉、南北朝、室町、安土桃山、江戸と続き、明治・大正・昭和・平成は「東京時代」と呼ぶにふさわしい時代を経てきた。閉塞感漂う時代の中で、現代の「東京時代」と対置して、かつてのわが国のはほろば「奈良時代」を見つめなおし、偏狭的なナショナリズムではなく、独自性をもった文化的な視点をもってアジア・世界へと繋げる視座を築く必要があるのだろう。

「NARASIA/㈱丸善」Webサイト

「平城遷都1300年祭」公式サイト

2009年7月 4日 (土)

ぬばたまの 黒髪山の 山草に・・・・・

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 奈良市・鴻ノ池陸上競技場の奥の小山の頂き近くに、「万葉の苑」がある。小さな緑の苑である。緑濃き木々と「万葉集」のさまざまな歌が記された標があった。その奥まった場所に、万葉学者として著名な犬養孝さんの書が刻まれた万葉集の歌碑があった。

 歌碑に刻まれた文字をじっと見ながら一字一字を読み解こうとしたが、わかりづらかった。傍らに立つ木標を見て、やっとのことでその歌を知りえた。正確な解釈をするほどの知識を持ってはいない。ただ直感的であるのだが、恋歌の香りがした。

「ぬばたまの 黒髪山の 山草(やますげ)に 小雨降りしき しくしく思ほゆ」
(作者不詳/万葉集)

7/4 奈良市・鴻ノ池運動公園の空、雲、樹

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 7/4(土)午後、30分ぐらい鴻ノ池運動公園内を歩いた。自然と下を向くのではなく上を向いて歩いた。空と雲と樹が目に入った。青と白と緑の色彩がすがすがしさを私に感じさせた。

«7/4(土)朝 鴻ノ池陸上競技場

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